人間の主観とコンピュータの条件分岐

どうも、がーすーです。

 

前回はコンピュータが条件分岐により人間の主観に類似した処理ができるようになるという話で終わりました。

前回の記事「http://blog.oplan.co.jp/archives/203

今回はそれを踏まえて人間の主観とコンピュータの条件分岐について話したいと思います。

 

コンピュータはif文などの条件分岐をいくつも組み合わせれば、検索エンジンのような複雑な判断ができます。

その過程を単純化して表現すると、入力された情報を条件分岐に掛けることで期待される出力を得ていると言えます。

 

人間の主観についても同じように単純化して考えてみましょう。

コンピュータと同じように感覚情報を脳に入力し、それに応じた認知を出力として得ます。

例えば、文章を読む場合にはそれを視覚情報として入力し、文章の内容を言語処理に掛けることでその意味を理解することができます。その認知の過程はコンピュータの条件分岐と同等だと見なせます。

人間が感覚情報を処理する過程がプログラムの条件分岐にあたり、人間はそれを主観として認識しているのです。

 

それを踏まえて、

例えば外国語で書かれた文章を理解するのにネイティブよりも苦労することを想像してみてください。もしくは、失明をしていて文章を読むことすらできないような状態でも結構です。

そういった個々人の主観における差は、コンピュータの条件分岐の内容に違いがあると考えることができます。

 

少し視点を変えてみましょう。

コンピュータが感情的な判断をすることができないというような認識は一般的に持たれています。

ですが、その感情も条件分岐によってはコンピュータに備えさせることができます。

より正確に表現すれば、感情に似た判断をできるようになるということです。

 

人間の感情について考えてみるとわかるはずです。

人間は判断をする際に快・不快の感覚が伴うことが普通であり、それが感情に直結していると言われています。

その快・不快の感覚の背景にあたる感情的な判断の過程については、無意識に依存して処理をしているのです。

 

その人間の感情的な判断の過程となっている条件を逐一抽出し、コンピュータにプログラムとして同じ条件を設定すれば、人間の感情と同じような判断ができるようになるということです。

その場合、人間とコンピュータは同じ入力から同じ出力へ至るという点では同等ですが、人間がその判断の過程を認識することが難しいのに対して、コンピュータはプログラムとしてその条件の過程を細部まで理解することができます。

 

それも程度の問題であり、コンピュータであっても条件が複雑であれば理解することが困難になることは間違いありません。

ですがプログラムという形式で明示的に構成されているという時点で、無意識に依存している人間よりも理解の程度が深まるのです。

 

そのように、人間の主観とコンピュータの条件分岐には同質性がある一方で、明らかな違いもあるのです。

次回はその違いと影響について具体的に話したいと思います。

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