今晩は。技術開発部の大河です。_φ( ̄ー ̄ )

 

我々が普段「認識」している対象(物体・五感etc…)は、果たして他者と同一の認識であるのでしょうか。本日は非常に興味深い「クオリア」という個人の主観的な感覚の謎について綴っていこうと思います。(こちらの内容は非常に抽象的な事についての説明ですので、専門用語や分かりづらい用語を省いております。掘り下げて知りたいという方はネットや専門書をご参考にして下さい。)

 

皆様は、感覚という物を人に説明できるでしょうか。青はどんな色ですか、甘いとはどのような感じですか、気味の悪さとは、眠さとは・・・。

大体は○○な「感じ」、と説明してしまうのでは無いでしょうか。その「感じ」こそクオリアです。

 

全ての知覚は電気信号として脳内を走り、データ化できます。血が出ると言う事は痛い事であるし、あくびをすれば眠気を感じている、脳または心肺が止まれば生命活動の停止、などなど、よく考えてみれば我々はあくまでも視覚からの情報を元に他者との統一を図っているにすぎません。

大雑把に言えば「こう言う場合はこの感覚で統一しましょう」という事ではないでしょうか。

 

但し、個人として感じるものは他者と同一の物であると説明ができません。程度の問題であるかもしれないし、はたまた全く違う感じ方をしているかもしれません。

生物として最も身近に存在しているクオリアですが、未だ科学的な説明がつかないのです。言葉や文字で表す事が答えにならないという、人類有史始まって以来と言っても過言では無い難問、「クオリア問題」と呼ぶそうです。

 

ここからは私の考えでありますが、好き嫌いというのはこのクオリア問題が関わっているのでは無いか、と思うのです。私が赤だと思っているものは、名前こそ「赤」であるが、私にとっての緑をそう呼んで感じ取っているのではないか、とも考えられるのです。

このクオリアの完全統一が成されて、同一対象の好き嫌いが無くなるのかといえばそうではないとは思います。浅はかな考えだとは思いますが、好き嫌いの一部にこのクオリア問題が存在するという可能性が秘められても良いのではないでしょうか。

 

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原典:Original strawberry’s image is from Image:Fragaria_Fruit_Close-up.jpg
and original man’s image is from Image:Munemitsu Mutsu 2.jpg
作者: Was a bee.

出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)