卑弥呼に関する雑学

こんにちは。

今回は弥生時代に存在した邪馬台国の女王である、卑弥呼に関する雑学について紹介して行きます。

邪馬台国の女王である卑弥呼は、研究者の間でも謎が多い人物で様々な論争が行われています。

卑弥呼が神様のように崇められた話や、地域を発展させた話が残っており、このことから偉大な人物であることは間違いないようです。

今回は、名前である「卑弥呼」の漢字の意味について紹介していきます。

卑弥呼の漢字三文字の中でも、特に気になるのが「卑」という漢字です。

この漢字についてインターネットで調べてみた結果が以下になります。

・身分・地位が低い

・いやしい、下品である。

・へりくだる。

・自分を自分をへりくだって言う言葉。

意味を見てみると、どの意味でも一国の女王に使われる漢字ではありません。

ではなぜ悪い意味で使われている「卑」が彼女に使われているのでしょうか?

その理由は、卑弥呼の記録が中国の書物である魏志倭人伝にあるからです。

魏志倭人伝とは、中国の三国時代(220年~269年)に存在した魏国の歴史書です。

当時の魏の歴史をまとめた公的な書物である「三国志 魏志」の中に、日本について記された世界で最も古い史料である魏志倭人伝があります。

その魏志倭人伝の中で、当時の中国人が卑弥呼と書いたのです。

当時の中国は周辺国よりも非常に高度な文明を誇っていました。

そのため中国人は、日本を含めた他国は自分達よりも劣っているという考えを持っていました。
卑弥呼という漢字は、当時の日本人が発音している「ひみこ」という音に中国人が漢字を当てはめたといわれています。

つまり、当時の中国人が「ひみこ」という音に、どの漢字を当てはめるか考えた結果、「自分たちより文明のレベルが低い国の女王」という意味を含めて「卑」という一文字が選ばれたのです。

ちなみに「弥呼」については、単純な当て字の可能性があるようです。

この説はあくまで数ある学説の1つですが、当時の東アジア諸国の時代背景を考えると、その可能性を否定することはできません。

「魏志倭人伝」の始まりは以下になります。

『倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國 
從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里』

中国から東南へ約七千里に、韓国のその先、海の向こうに倭(日本)がある。

と記されています。そして続きは以下です。

『其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名日卑弥呼 
事鬼道能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國』

男性が王となっていたが、国の中で戦が長期間つづき、国の中が乱れたので、
女王となったのが卑弥呼であった。卑弥呼は占い・呪術で人を治め、高齢で夫はおらず弟があり国を治めた。
と、あります。

女王となった卑弥呼は、魏国の王に使者と貢物と送りました。

そうすることで、魏王から倭国の王として認められたのです。

その際に、宝物と金印(王としてのしるしである黄金の印鑑)が送られました。

当時、大国である中国に認められることは、一国の王として重要な意味を持っていました。

それは、王としての資質があることを広く証明することと、自分(邪馬台国)のバックに大国である中国がいることを主張することで、ライバル国をけん制することができたのです。

魏志倭人伝を見ることで、日本国内だけでなく、中国との国際的な状況も見ることができました。
当時の日本は、周辺国と比べて発展途上でした。しかし、優れている点もあります。

それは、普段から他国と交易を行っていたということです。

日本は当時、高い頻度で国際交流を行うことができる開かれた国だったのです。

このことから日本が、外国人と交流するために必要な語学や、海上を移動するための高度な航海術と造船技術を備えていたことが分かります。

また、当時の日本国内の記述については、衣服や住居・礼儀作法・身分制度など、日本独自の文化もあったようです。

今回は卑弥呼の漢字の由来について紹介しました。この記事を機に、日本の歴史について調べてみてはいかがでしょうか?

ここまで読んでいただきありがとうございました。