始皇帝の雑学

こんにちは。

皆さんは「秦の始皇帝」をご存知でしょうか?

現在も連載中の作品の「キングダム」の嬴政です。

彼は初めて中国統一という偉業を成し遂げた人物です。

今回は秦の始皇帝についての逸話を紹介します。

秦は紀元前905年から206年に中国に存在した国のひとつです。

秦は群雄割拠の春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)を生き残り、紀元前221年に初めて中国全土を統一しました。

始皇帝の幼名は政という名前でした。紀元前259年に生まれましたが、この時は秦ではなく、隣国の趙の首都・邯鄲で生まれています。

政の父の子楚(しそ)は秦の王族ではありましたが、妾腹の子(愛人の子)であり20人以上も兄弟がいたため、趙へ人質に出されていたのです。

政が6歳の時、当時の秦王だった実の曽祖父が、人質がいるにもかかわらず趙に攻撃しました。

趙に捕らえられていた政は逃亡し、なんとか生き延びることができました。

紀元前249年に、政の祖父が秦の王に即位しますが、不幸にも即位の3日後に死去してしまいます。

政の父が荘襄王として王座につきます。その父も3年で死去し、政は13歳で秦の支配者になるのですが、はじめは父の宰相だった、呂不韋が実権を握っていました。

紀元前238年に、政が22歳の時に呂不韋が失脚します。

実権を取り戻した始皇帝は、破竹の勢いで周囲の国々を滅ぼしていきます。

紀元前221年、38歳の時に最後の国である斉を滅ぼして中国統一を果たしました。

このときに彼は、各国の支配者が名乗っていた「王」という位ではなく、すべての国の支配者を意味する「皇帝」という位をつくります。

中国全土を初めて統一した皇帝であることから、自ら「始皇帝」と称するようになりました。

始皇帝はそれまでの支配体制を大きく変え、中央集権国家を作りあげました。

全土に郡県制を敷き、通貨・計測単位・書体の統一を行うことで、それまで国ごとにバラバラだった制度をまとめました。

また、万里の長城によって、北方の遊牧民族からの守りを固めました。

一方で焚書(書物を燃やすこと)や坑儒(儒者の殺害)により、自分に従わない人間を粛正する暴君であったとも言われています。

何度も暗殺から逃れた始皇帝ですが、最後には病気にかかり、紀元前210年9月10日、49歳の時に亡くなってしまいます。王座についていたのはわずか11年でした。

そして彼の死後、秦の覇権は長く続かず4年後には滅亡してしまいました。

そんな始皇帝の雑学は以下になります。

①王族の子ではないという説

政の母親は、政の父・荘襄王の宰相だった呂不韋の愛妾であった女性です。

子楚が趙に捕らわれていたときに、取り入ってきた彼女を見初めたのです。

この女性が子楚のもとに嫁ぐ際、すでに政を身ごもっていたという説があり、それが真実だとすると政は王族の血を引いていないということになります。

この真相ははっきりせず、今でも謎のままです。

②万里の長城

万里の長城は、中国の北に存在した遊牧民族の侵略から守るために建てられた、世界で最大規模の構造物です。始皇帝といえば万里の長城というイメージもありますが、実は長城自体は秦が建国される前から存在していました。

北方の遊牧民族からの防衛という目的は同じでしたが、中国が秦に統一される前のいくつかの国家がそれぞれ作ったもので、長さは短いものでした。始皇帝はバラバラに存在した長城をつなげることで、とんでもない長さの巨大構築物に再構築したのです。

③不老不死

老いたり、死ぬことのない体に強い憧れを持っていた始皇帝は部下に対して、「伝説の山である蓬莱山を見つけ出し、1000歳になるという仙人を連れてこい」という命令を出しています。

また、当時不死の効果があるとされていた水銀が含まれている薬を飲んでいました。

水銀は現在では猛毒と知られていますが、当時は水銀の特殊な性質から、秘薬のひとつとして認識されていたようです。

いかがでしょうか?

私が今回始皇帝を紹介した理由は冒頭でも触れたキングダムから興味を持ったからです。

皆さんも漫画やアニメからでも、気になることが見つかれば、それについて調べてみてはどうでしょうか?