哲学

預言者タイムリープしてきた説

「Re:ゼロから始める異世界生活」というアニメに今更ながらはまっている、らりあんです。
このアニメの主人公は死ぬと過去のある地点まで世界が戻り、自分以外はその地点から自分が死ぬまでの間の記憶を完全にリセットされるという能力を持っています。タイムリープかどうかと言われると何とも言えませんが、まぁ似たような能力ですよね。タイムリープを題材にしているものは結構好きで、ほかにも「シュタインズゲート」というアニメや「バタフライエフェクト」という洋画もお気に位入りの作品です。

 

タイムリープってどんな事だろうと考え始めたら頭がおかしくなっちゃいそうだったので、ここでまとめることでもう考えるのをやめたいと思います。以下にどんなことを考えていたのかをつらつら書いていきます。

 

世で言うタイムリープというものは、簡単に言うと時間を飛び越えるってことです。まんま日本語訳するとこういう意味ですね。過去に戻って自分が経験した未来とは別の未来を歩める、といった感じです。

 

自分はこれを過去に戻るというよりパラレルワールドに移動した、という様なイメージで捉えています。並行世界ってやつです。コンビニで自分がパンを買った世界と、何も買わなかった世界。これだけだと大した違いはないように見えますが、たったこれだけの違いで未来は大きく変わる可能性があるのです。この思想というか現象のことをバタフライ効果と呼びます。

 

これはもともと気象学者の「ブラジルの一匹の超の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか」という問いかけに由来しています。どういうことかというと、パンを買った世界ではその後パンを食べながら車を運転したことで不注意になり、赤信号に気づかず車で人を撥ねてしまいます。何も買わなかった世界ではその人が撥ねられることはありません。これだけでも大きな違いだと思いますが、もしかしたらその撥ねてしまった人はある国の要人でそれが原因で国同士の戦争に発展してしまうかもしれません。戦争で核が使われ、地球から人間が消えてしまうかもしれません。このようにたった一つの小さな違いがその後の現象に大きな違いを与えることをバタフライ効果と呼びます。

 

話はそれましたが、タイムリープが出来るということはパラレルワールドを移動でき、自分にとって一番都合の良い世界を選択することが可能なのです。

ここで問題となるのが、「Re:ゼロから始める異世界生活」のように記憶を維持したまま移動できるのか否かです。

もし記憶を維持できずに移動していると考えた場合、今いるこの世界は既に自分が選んだ最適の世界の可能性が出てきますよね。過去に起こった嫌なことも全てが最適であって、ほかのパラレルワールドではそれよりもっと嫌なことが起こっていると。

この世界で自分に起こっていることが、全て最適な結果だという可能性が出てきます。こうなると、もう現状を最高に楽しむしか選択肢がないんですよね。わくわくしてきます。この先起こること全てがどのパラレルワールドにいる自分より良いことなんのです。夢が広がりんぐです。

 

じゃあ逆に、記憶を維持して移動できる場合はどうでしょう。

あなたに世界を移動した記憶がありますか?自分はないです。

じゃあこの世界に移動してきて最高な世界を手にしたのは自分ではなく誰かですよね。

今いる世界はその記憶を持って移動してきた人を中心に回っているのです。

その人にとって都合の良いことばかり起こるような世界なのです。もうどうしようもないですよね。

あなたが起こす行動の全てはあなたではなくその記憶を持った誰かにとっていい結果を引き起こすのです。やる気も出ません。未来への希望も無くなります。

だって何をしても自分ではなくこの世界に移動してきた誰かが一番得をするように出来ているんですもの。

じゃあその記憶を持った誰かって誰だ?という話になりますよね。

だってその誰かがうらやましくて仕方ないじゃないですか。

もし仮に、あなたに記憶が残っていたら、言いません?私なら絶対に言いますね。未来を予言する事も可能なのですもの。

しかもその予言しまう行為すら怪しまれずに崇められる世界のはずですからね。

だって何をしても自分に都合のいい世界だから。

ここで、あれ?となるんですよね。予言者って呼ばれている奴っていなかったっけ、と。

その人々はタイムリープという特殊な能力を使用して予言たるものを行ってるのでは?

 

四連休の間ずっとこんなことを考えていて、頭がおかしくなりそうでした。

後半に行くにつれて、文の書き方も崩れてきたのは頭がゆるゆるしてきたからです。ではこの辺で。

ちなみにタイムリープとかないので安心してください。(笑)

徒然草子365 -turedurezhoshi SANROKUGO vol.6-

こんにちは。
営業部MORIHIROです。

 

きょう、最寄り駅の階段を昇っておりますと、
軽快な足取りの青年はととっとわたしを追い越して、
いま来た電車にさっと乗って、
目の前からあっというまに去ってゆきました。

 

デッキブラシをもって。

 

デッキブラシでした。
あれはたしかに、デッキブラシでした!

 

目の裏に焼きついたのはグレーのスニーカー
黒いキャップにリュック
そして右手に木の柄と、その先があざやかな緑色の、デッキブラシ!!

 

どうしてデッキブラシをもっていたのか聞きたくても、彼はもう道の先へ・・・。

 

もしかして彼は飛ぶのかしら
「魔女の宅急便」のキキのように。

 

なぁんて、空想しながら友人の待つ浅草へ向かったのでした(笑)

 

あの人のママに会うためにではないですが、ひとり列車にゆられながら。

 

空を飛ぶという夢を人類は叶えてきた_とかなんとか・・・
こういう文言を偉人伝なんかでみたことがあります。

 

空って、飛びたいものですか?

 

わたしは・・・・・・、あまりそう思ったことはありません。

 

鳥のように自由に空を飛びたい!
というよりは
魚のように自在に水中で泳ぎたい!
と思います。

 

鳥は飛ぶ、といいますが、厳密には「滑空」しているのだそうです。
鳥が羽ばたくのは飛ぶためではなく、空気をかいて前にすすむため。

 

(そう聞くと、鳥も魚も”泳いで”いるのではないかしら)

 

揚力が弱まれば徐々に高度は下がるので、良いタイミングで気流を利用して飛翔をするのだそうです。

 

人間の体重における骨の割合は20パーセント程度。
対して鳥は5パーセント。

 

空気の上をなめらかに泳ぐ・・・
それが可能な体に進化してこそ、の自在な飛行なのですね。

 

ニュートンの運動方程式

 

飛行力学

 

そういう科学の勉強をすると、「ほうきで空は飛べない」が見地になります。
(やっぱし、ほうきやデッキブラシで飛ぶには魔法がひつようなのね・・・と)

 

いまのところほうきは無理だけれど、
ひとは「飛行機」というを別の乗り物と方法を見つけました。

 

例えば高速飛行・超長距離飛行・垂直離着陸_なーんていう技術においては、
鳥をはるかに上回る能力を持つ、もうすんごい「魔法」です!

 

そういえば。
7月の終わりに「ナウシカの翼が現実に」というニュースを見ました。

http://youtu.be/_nKlnt5c9vM

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画像引用:「http://blog.livedoor.jp/mikeneko1014/archives/64457754.html

 

超高性能な飛行機がある今の世において
あえて「鳥のように滑空する」飛行機をつくるひとがいたのです。

 

映画『風の谷のナウシカ』で「エフタルの凧」と表現されるナウシカの乗り物”メーヴェ”

 

メーヴェって調べてみました。
「ドイツ語でカモメのこと」
なるほど!カモメかぁ~・・・
このメーヴェの飛行にイマジネーションを受けて
現実に飛空できる乗り物としようと、独自で開発を続けていらっしゃったのだそうです。

 

その時間、じつに10年・・・

 

メディアアーティストの八谷和彦さんの取り組みの様子を動画でみましたが
「空を飛びたい」という想いは溢れるのでしょうか。

 

飛んだ瞬間

 

じわっと胸が熱くなりました。

 

ちいさいころは
神様がいて
不思議に夢を 叶えてくれた

 

やさしい気持ちで
目覚めた朝は
おとなになっても 奇蹟は起こるよ

 

そっと、この歌が聴こえてきた気がします。

 

インタビューで「きょうは飛ぶかわからなかった」「飛んでよかった」
そう語る50歳を迎えた操縦者に、その夢追うこころの在りかをみました。

 

そういえば、つい最近ヨドバシカメラで「ロボホン」が売り場に並んでいるのを見て
同じような言葉を思い出しました。

 

あのこたちのオープンリリースの舞台裏
お目見えの直前でセンターを飾る予定のロボホンちゃんに不具合が出たのだとか
そうしてセンター予定にはない子を桧舞台に乗せると決断し、
見事に成功。

 

そのときのことを、こんなふうに言ってましたっけ
「きょう動くかわからなかった」「動いてよかった」

 

不思議に夢が叶うのは

 

夢の地点まで歩み続けるから_なのかもしれませんね。

 

もりひろはデッキブラシにかける魔法はもっていませんが
不思議に夢を叶える魔法は、もてるようになりたいなぁと思う昼下がりでございました。

 

MORIHIRO

 

 

観測者がいない出来事は存在すると言えるのか。

こんばんは。

技術開発部の大河です。( ̄Д ̄)ノ

 

今回記事にするテーマは、あるウェブ漫画を読んだ事が理由です。結構有名なので皆さんも見た事あるって方、多いのではないでしょうか。

 

それは「5億年ボタン」という漫画です。

 

内容を要約すると、目の前のボタンを押すと100万円出てくるという物。ここまでは、誰しも簡単に押すと思います、が、ボタンを押した瞬間何もない世界へ飛ばされて5億年過ごさないといけないのです。(寝る事死ぬ事×)終わればボタンを押す瞬間へ戻り、5億年過ごしたという記憶は抹消されます。そして100万円を手に入れます。

本人も周囲も、一瞬でお金を手に入れた様に感じます。ちなみに事前に5億年過ごさなければいけない旨は伝えます。それでも貴方はやりますか、という事です。

 

5億年過ごしたという事は誰にも観測されていませんし、本人でさえ一瞬で100万円手に入れたと思っているのです。これは存在する事でしょうか。

 

もし過ごした記憶が残っていたら、私は2度とボタンを押しませんし、むしろ帰ってきた後通常の精神状態で生きていけるか自信がありません。ですが自分という観測者、結果があるので存在したと言えるでしょう。中には、5億年過ごしている最中は記憶を保っていて、実際経験しているのだから存在はするという意見もあります。ですが、普段我々が知らず知らずに行っている事があっても、記憶の有無に関わらずそれを認める事は出来ますか。例えば、寝言に関して言えば大体記憶に無いものです。第三者の観測により、それを知る事が多い訳です。自分の記憶が無いだけでもその事実の存在はすんなりと認める事が難しいのに、誰の記憶にも無い出来事を、誰が存在すると断定出来るのでしょうか。

または自分の死後、この世界が存在し続けるのかです。

これに関しては確認の仕様がありませんね。「観測できる者」はどこにもいないのですから。なのでこれについても存在の是非が問われるわけです。この世は自分の為に作られた世界であり、自分というユーザーと共に消滅するかもしれません。

もっと極端な考え方として、自分が見てない時、その物体は存在するのかどうかです。自分の背後は自分で確認できませんので、無の空間が広がっているかもしれません。ノートパソコンを開いていて、画面の裏側は何もない空間かもしれません。

 

見つかっていない星や生命体、歴史上の遺物、物質、果たして見つかっていないだけなのか、そもそも初めから存在などしていなかったのか、この世界は観測者によって構築されているのでは無いでしょうか。